パーさんの貧乏日記

過去の借金まみれの貧乏体験日記

貧乏で借金まみれの私を見下す義母が再来!!自己中すぎて家族で仰天【 嫁の母Part3 】

義母の理不尽さに言葉を失う我々家族

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皆さん、日々の生活お疲れ様です‼︎

 

世の中、色々な事が起こっておりますが、私の周りにも、日々色々な事が勃発致しております。

 

嫁の母…そう、私にとっての義母…この方は常に私の斜め上を更にまだ右斜め上をいくのです。

 

今回も、そんな義母の驚くべきエピソードを、呟いてみようかな…そんな所存でございます。

 

あれはそう…長男がまだ7〜8ヶ月の頃、嫁は急性胃腸炎になってしまいました。

 

長男を母乳で育てていた為、最初は点滴を打つ事を躊躇っていた嫁でしたが、あまりの脱水症状の酷さに、医師から点滴を打ちましょうと、嫁は母乳育児である事を告げたのですが、脱水症状が酷い為、少し危険かも?なーんて言われてしまえば、選択肢は1つしかありません。

 

長男に移してしまう可能性もあるので、診断が下る前から、嫁は息子と距離は取っておりました。

 

母乳からミルクに切り替えなくてならぬ申し訳なさと、身体の怠さとで、とんでもない顔をしてたなぁ…なんて、今ふと思い出しながらこれ呟いております。

 

言ったら、どんな罵声が飛んでくるやもしれませんので、ここだけの話しにしておきますが。そう嫁はあの義母の娘なのです。

 

義母には破壊力は劣るにしても、その何て申しましょうか…やはり蛙の子は蛙なんだなとつくづく思うのです…

 

話しが逸れました。すみません。

 

点滴を投与してもらい、脱水症状から脱したのですが、嫁の高熱は3日間に渡り続きました。

 

その間、もちろん息子のお世話を出来る訳もなく…

 

1日目と2日目は私が仕事を休みました。

 

冬の時期だったので、私の仕事の内容的にはすこぶる忙しい、いわゆる繁忙期な時期だったのですが、そうも言ってられません。仕事の代わりは居ても、旦那の代わりも息子の父親の代わりも私以外に居ないのですから。

 

しかしながら…3日目まだ嫁は回復しません。

 

さすがに3日目は、他の社員の都合もあり、出勤せざるを得ない状況下に陥りました。

 

どうしたものか…そう頭を悩ませてる所にふんふん♬と何故かご機嫌に義母がやってきたのです。

 

ご機嫌モンスター満を持して登場!!

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この状況下で何故この人は、こんなにご機嫌なのか?頭をかすめはしましたが、そこを掘り下げる気力もなかったので、スルーをし、いまの状況を義母に説明致しました。

 

この時、義母はパートで働いておりましたので、仕事で疲れた日は、我が家にやってくる頻度も若干少なくなっていまして…それでも3日ぶり?くらいの訪問です。世間一般には、訪問し過ぎ‼︎の頻度でも、毎日の様に訪れていた為、3日に1回の頻度でも、久々に感じてしまうのです。

 

人間の思い込み?刷り込み?何と表現するのが正しいのかはわからないですが、慣れと言うものは、ある意味恐ろしいものでもあります。

 

そんなご機嫌な義母に説明をしてみたものの

 

んー、私は見てあげられないかなー』(義母)

 

そうですよね。お義母さんお仕事ありますもんね』(私)

 

そうね〜ごめんね〜』(義母)

 

全く期待もしてなかったのですが、藁にもすがる思いすらも義母は簡単に打ちのめすのです。

 

その話しを寝込んでる嫁に伝えた所、嫁が一言…

 

あれ?お母さん明日仕事休みじゃなかったっけ?』(嫁)

 

えっ?』(私)

 

そんな話は一言もしてなかったけど』(私)

 

ちょっと、お母さんに確認してみるね』(嫁)

 

数分の時が流れ…

 

休みだけど、自分の休みは好きに使いたい。顔出せたら出すわ』(義母)

 

そうです。何の悪びれもなく、義母は当たり前にこう言い放ったそうなのです。

実の娘が高熱を出し寝込んでいる。

 

実の孫を見てくれる人が居なくて困っている。

 

私は義母にそのように様に説明したにも関わらず、普段は孫の為なら、孫が可愛い、そんな言葉を並べておりましたが、言葉を並べていただけだったのです。

 

いざ、自分と孫を天秤にかけた時に、義母は躊躇う事なく、自分を優先させるのです。

 

これには、私はもちろん、嫁も酷く衝撃を受けたらしく、嫁は心身共に疲弊しきっていたのは言うまでもありません。。。

 

そんなこんなで、どうにもならなくなった私は自分の母に状況を説明し、母も仕事をしておりましたが、快く快諾してくれました。

 

何故、最初から母に頼まないのか?そんなお声が聞こえて来そうですが、同じ市内に住んでおりますが、なにぶん、田舎なので、私の家と母の家との距離は片道1時間、ましてや真冬の道路状況最悪な中、来てくれと頼むにはあまりにも忍びなかったからです。

 

それでも、母は仕事を休んで、朝早くに私の弁当や自分と嫁が口に出来そうなものを作って持ってきてくれました。

 

嫁の症状も徐々に回復し、回復と同時に義母への強い怒りもやってきて、しばらくは顔が鬼の様な顔になっておりましたが、最終的には、

 

あの人らしい…』(嫁)

 

その一言で片付くのでした。

 

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